「明らかにされたもう一人のフーコー」(後半)

以下の文章は「明らかにされたもう一人のフーコー」(前半)の続きになります。
なお、末尾のコメントはピエールによるものです。

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こう考えると、ポール・ヴェーヌが見事に示しているように、フーコーの方法は、非常に謙虚なものである。一般的で普遍的な思想の定義を目指すのではなく、個々のそれぞれの微細な研究に専念する。たとえそれが、「狂気、懲罰、性など」の巨大な総体に関わるものであってもそうである。同様に、古代の「快楽」は、キリスト教中世の「肉」には還元できない。またその「肉」も現代の「セックス」には解消できない。絶対的なものを断念した思想の例に漏れず、どのような概念の一貫性によっても現実の豊穣な多様性を表現し、抑え込むことは出来ないということが帰結される。それ故、フーコーは人間が行う「言説」を無前提に喜んで受入れるのである。P.ヴェーヌは打ち明ける。「彼が、私に喜びと同情と素晴らしい評価でもって、聖アウグスティヌスとその絶えまなくあふれ出る思想について語るのを耳にした。」しかし、この懐疑主義者は、一つの確信を持っていた。その確信がある点までは、次の彼自身の言葉と矛盾をきたしてもたいしたことではない。《La vie a abouti avec l’homme a un vivant qui ne se trouve jamais tout à fait à sa place,qui est voué à errer et à se tromper.》

ポール・ヴェーヌが彼の「英雄」をニーチェの後継者にするのは理由のないことではない。ニーチェとは、同時代人によって生み出された偶像、「民主主義、人権、男女の平等」を全く信じることのない、偶像破壊者である。確かにフーコーは、単刀直入に自らの政治立場を表明した。この点で、彼は哲学者であるよりも、その「激烈さ」と「怒り」によって鍛錬された「戦士」であった。確かに、彼は戦士であったが、芸術家でもあり、常にシルスマリアの孤独者(訳注:ニーチェ)の弟子であった。「私は、生涯を通して取り憑かれたように仕事をしてきた。私は、自分がしていることの大学での評価については全く気にしていない。というのも、わたしの問題は、自分自身を変えることであるからだ。自身の知識によって、自分を変えることは、美的な経験に近い何かであると思う。画家は、自らの絵によって、自らを変えることがなかったら、どうして絵などを描くだろうか?」
 形の定まらない下手な絵や曖昧な素描や粗雑な戯画に対して、ポール・ヴェーヌは、マネをつぶさに見ていた親友を「サムライ」として素描する。その肖像画は、個人的なもので予想に反するものであるが、正確であり、見事なものである。

ピエールのコメント

■この記事は、P.VeyneのFoucault,sa pensé,sa personne (2008)の紹介です。小生は不勉強及びゲルピン(訳注:金欠)の状態にあるため、未読であるのみならず、まだ本書を手にも入れていません。

■フランス語の部分の解釈のご教示お願いします。あわせてこの発言の出典もご存知ならば教えていただければ嬉しいです。 

ネグリのようにフーコーを躊躇なく「革命家」と規定するのには違和感を持ちますが、この記事のように68年と切り離す論調にも、何かの意図を感じずにはいられません。ヴェーヌの著作を未読なのでえらそうなことは言えませんが。